久しぶりに母のことを書こうと思う。私たちが日本にいる時には、一つ屋根の下で一緒に暮らす母。
子どもの頃からそうだったけれど、この世の誰より折りが合わない人が、母だ。大好きなくせに、大嫌いなのだ。
今でも母が突然、キッチンに現れると、どきっとする。子どもの時からずっとそうだったように、反射的に「また、怒られる」と思うのだろう。
ピアニストのフジコ・ヘミングさんも、そんなようなことを言っていた記憶がある。あの世にいるお母さんに会いたいですかと聞かれ、「会いたいわよ。一緒には住みたかないけどね」というようなことも言っていた。
昨日の夜、一階のキッチンで食事の支度をしていたら、隣の居間で母が電話で話しているのが聞こえてきた。
話し方からして、相手はおそらく母の姉か妹だろう。その時に母がぽつんと、こう言った。
「なんか、おかあちゃんに会いたくなってね」
聞こえないふりをしていたから、母の表情は見えなかったけれど、声をつまらせているように聞こえた。
それを聞いたとき、私は自分の反応に驚いた。ものすごい衝撃を受けたのだ。あんな体験は初めてだった。しばらく、そのことが頭から離れなかった。
気の強い、いつもの母の口調ではなかった。もう、人生、終わりにしてもいいかな。疲れたよ。そう言っているようにも聞こえた。
母は子どもの頃から厳しかった。私は明治時代のような厳格な家庭で生まれ育ち、庭の向かい側に住んでいた父方の祖父母も父も皆、厳しく、父にはよく殴られた。
私が何か母の気に入らないことをすると、母の口癖は、「パパが帰ってきたら、みんな報告するから、見ていなさい」だった。
そして、母から報告を受けた父に叱り飛ばされ、殴られた。
子どもの頃から、学校であったことをただ聞いてほしかった、非難するのではなく、ただ耳を傾けてほしかった。今回、半年ぶりにアメリカから戻っても、母は何も聞かない。まったく関心がないのだ。
私が話していても、それをさえぎって自分の話をしている。
母があのとき、電話でぽつんと言った言葉に、私はなぜ、あんなにも衝撃を受けたのか。その自分の反応に驚いた。
もしかしたら、母もずっと私と同じ気持ちでいたのかもしれない、と思ったのだ。
母の母親は、体が弱かった。私が覚えている祖母は、いつも床に伏していた。そして60代でこの世を去った。
病弱な母親に、母もきっと甘えたかったのだろう。学校であったことも、聞いてほしかっただろう。母は幼い頃から、祖母の代わりに家業を手伝い、働いた。
私が祖母のことを聞くと、祖母は医者の娘だったとか、自分をおぶって讃美歌を歌っていたとか、そんな話をときどきしてくれた。
今日は私がやさしく母に接している。いつもならイライラすることも、受け止めて。だから、母も穏やかだ。
母は母なりに、母のやり方で、私を愛してくれた。何より、命を与えてくれた。
母に求めることは、もうとっくの昔にあきらめた。あきらめたと思ったら、前より楽になった、と思った。でも、本当はあきらめきれていなかったのだろう。この年になっても、今でも悲しく、泣きたくなることがあるのだから。
この先何年、一緒に過ごすことになるかわからないけれど、これからはときどき、私が母の母になってあげようかな。そんな気持ちに今、なっている。
今日は子どもの日なんだ。あと4日で母の日か。子どもの日と母の日が、こんなに近いなんて、これまで考えてみたこともなかった。
私がSNSに母のことを書くと、「みっちゃんがこんなことを書いていたわよ」とわざわざ母に教えてくれる人がいるけれど、あまりうれしくない。それが誰かは、だいたい想像がつくけれど。
私が母のことを書くのは、今のように、ときどき、書きたいと思うから。それは、母に愛を感じるとき。親子関係がうまくいっている人は、「いい年して、こんなことを」と思うかもしれない。でも、自分の母親に対して同じような思いを抱いている人は、じつはとても多いことを知っている。
母とのいい関係が、4日先の母の日までもちますように。
と思ったら、下で母がまたいつもの口調で、私の愚痴を言い始めたよ!笑
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写真は4か月前にニューヨークで撮ったバラの花
この文章を読んで、私のようにとても救われる人もいると思います。でもこの感覚、わからない人には絶対にわからないと思います。
どうして私は母に対してこんな思いを抱いてしまうのだろう?と思っていました。私はとてもひどい人間なのかな?と。でも、環境も周りの人達もそれぞれで、一言では言い表せないし、長い間に色んなことがあってそれらが重なって…。
今日の文章を読んで、すっと心が軽くなりました。ありがとうございます。せめて自分の子供にはそう思わせないように育てたいのに、人間は育てられたようにしか育てられない。これは、本当にその通りだと痛感しています。今はこの呪縛と戦っています。だからこそ、私は母の気持ちが分かりました。母もそうするしかなかったのかな、と。
相手の立場や気持ちがわかると、優しくなれるのですよね。もう一度岡田さんの文章を読んで、それから一日を始めようと思います!
どうして私は母に対してこんな思いを抱いてしまうのだろう?と思っていました。私はとてもひどい人間なのかな?と。
よくわかります。私も同じです。コメントをくださって、ありがとうございます。そうですね、同じことを自分もやっていることに、はっとすることがあります。でも、、そう気づけることが、大事なのだと思います。過去を受け止め、そこから学び、でもしがみつくことなく、忘れることも大事ですね。これからの人生のために。過去は変わらないけれど、自分の見方は変えられる。家族であっても、それぞれ別の人格と個性を持つ存在であることを、親子であっても、夫婦であっても、忘れてはいけないですね。自分にも言い聞かせています。 岡田光世