「今日は何の日か、知ってる?」
今朝、母が私に聞いた。
一度だって、忘れたことはない。
父は、成人の日だった1月15日に、私が12歳の時に急死した。
「今日はお寿司にしようか」と母。
命日はいつもお寿司だ。
夫とお墓に行って、キリンビールの缶を墓前に置いた。夕暮れだったから、墓地には私たちのほかに、だれもいなかった。水入らずで再会できたような気持ちになる。といっても、夫は父に会ったことはないけれど。
父が元気だった頃、麒麟の絵の付いた瓶が、食卓に上がっていたのをよく覚えている。
苦いからいや、と言うのに、無理やり飲まされた。
夕食は、葬儀に使った父の写真を椅子において、父と母と夫と私の4人で、お寿司を食べた。ビールのグラスも、大好きだったお寿司も、写真の父の口に持っていくと、いつもより目が笑っている。
私が小学校高学年になった頃、母が父に言った。
「いつまでもパパ、ママなんて呼ばせていていいんですか」
「いいんだよ」とパパはうなずいた。
だから今も、パパはパパ。
苦くて苦手だった麒麟ビールが、今では大好きになったよ、パパ。
パパのたったひとつの形見は、このオペラグラス。パパの遺品は、母がパパの部下や親戚にあげたり、処分したり。趣味のカメラはすべて、弟の手に渡った。
このオペラグラスも、パパが私にくれたわけではない。母がくれたわけでもない。
私にもパパのものを何かちょうだいと母に言ったら、「あんたは女でしょ」と何もくれなかった。
父の思い出のものが何もないのが悲しくて、押し入れかどこかにあったのを、こっそり取っておいた。だって、母は何でも処分しちゃうから。
このオペラグラスは重たいけれど、ニューヨークでも日本でも、ヨーロッパの旅先でも、いつも私と一緒。これを覗いていると、くよくよ泣いていないで、遠くの世界を見つめてごらん。楽しいことが見えてくるだろ。そんなふうにパパが語りかけているような気がするよ。
12年間しか一緒に暮らせなかったけれど、ずっとパパを想い続けている。
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