「アメリカに行かせてもらえないなら、死にます」なんて、高校の時、遺書もどきを書いた私が言えることではないけれど、手を繋いで電車に飛び込んだふたりの女子中学生を想う。
少女たちの年齢の頃、私も学校で辛い時期があった。父が病気で急死した直後。「死んでしまいたい。でも、悲しむ母がいるから、それはできない」と日記に書いていた。
家庭と学校だけの狭い世界。そこから逃げようがないと思った。
先進国のなかで日本の自殺率は群を抜いている。どうして私たちは、幸せを感じられないの?
でも、今の私もいけないと思いながら、たまに口にしてしまう「もう死にたいよ」という言葉。
軽々しく吐いてはいけないね。今日は青学で講演会の顔合わせがあり、その足で、もっと生きたかっただろう叔父に会いに山梨へ行く。こんな悲しい気持ちで、母の生まれ故郷へ。
写真はマンハッタンのコロンバスサークル。辛くなったら、上から地上を見下ろそうね。
”生かされている奇跡”を思ったら、ちっぽけな問題じゃん、って思えるから、きっと。
あと2週間で、皆さんと会えますね!