薄暗いコンサートホールで、隣の男性は、女性の写真が入った額を胸に抱いていた。昨夜、ボズ・スキャッグスがステージに現れる前のこと。しばらくすると、連れの女性が写真の額を持ち、その姿を男性が携帯電話で写真に収めていた。その女性は、写真の女性によく似ていた。どちらも笑顔で、額縁は黒くなかったけれど、亡くなった方なのだろうと思った。
聞いてはいけない気もした。でももし、私があの女性だったら、と考える。誰の写真を抱いているのですか、と尋ねてくれる人がいたら、きっと嬉しいだろう。そう思った。
そんな立ち入ったことを聞いて、気分を害されたら、素直に謝ろう。
写真を撮り終え、ふたりは何やらおしゃべりしていた。間が空いたときに、夫の隣にすわる男性の腕を軽く叩いて、「お写真、どなたなんですか」と声をかけた。
「妹なんです」と女性が笑顔で答えた。
「ボズが大好きで、チケットを買って、今日をとても楽しみにしていたんですけど、闘病していて、暮れにちょっと亡くなっちゃって」と女性が言った。辛いだろうに、明るい表情だった。
「そうだったんですか」
「だから本当は、僕じゃなくて、彼女がここにすわっているはずだったんです」
男性も明るい口調で言った。彼と隣の女性は夫婦だった。
こうして妹と3人でコンサートに訪れて、「最愛の妹」だっただろうに、その妹が亡くなったのに、「ちょっと」ということばを使ったのが、印象的だった。
妹は、ちょっと行っちゃったけど、また帰ってくるんです。いや、行っちゃったけど、今もほら、こうして私たちと一緒にここにいるんです。そんな思いから、口に出たことばのような気がした。
「つくば万博、知ってますか」と女性が聞いた。
「つくば万博? 私、あそこで働いていました」
「ええ! あの万博のこけら落としにボズが来た時、妹と一緒に行って、会場でお金を使いすぎて、お金がなくて、キセルしまくって帰ってきたんです」
楽しそうに笑いながら、言った。
彼女は高校生、妹は中学生だったという。
あの万博の時、通訳翻訳サービスで知られる「サイマルインターナショナル」の社員として、ユーゴスラビア館の館長秘書と通訳として働いていた。ボズ・スキャッグスが来たことを、すっかり忘れている。
まもなく、バンドのメンバーとボズが現れ、コンサートが始まった。ボズの歌声を聴きながら、隣の家族のことをボズに知ってほしい、と思った。妹さんはボズに会えること、この歌声を聴くことを心の支えにして、闘病生活を送っていたのだろう。そんな妹さんと一緒に、ここに足を運んだ家族がいることを知ったら、ボズもうれしいだろうと思った。
コンサートが終わり、会場が明るくなるや否や、そんな想いをふたりに伝えた。
「X(Twitter)のアカウントがあるみたいだから、メッセージを送ったらどうでしょう」
私が突然、そんなことを言い出したから、ちょっと戸惑ったようだったけれど、「そうですね。ボズのFacebookをフォローしているので、メッセージを送ってみましょうか」と言った。
「ボズにはぜひ、3人の写真も添えて」
そう私が言って、撮った写真。
おふたりの承諾を得て、素敵なご家族を、皆さんにご紹介します。
岡田光世様、人が亡くなってもその方の写真を持って、一緒に観るって素敵ですね。かなり前ですが、私も市川光士さんと岡田様のサイン会、懇談会に行かせていただいております。数年前、市川さんが亡くなってしまいました。今後、写真を持ってまたみなさんと一緒にイマジンを歌いに行けたら、と想像が膨らみました。市川さん喜んでくれそう