亡くなるということ。生きるということ。

アメリカから日本行きの飛行機に乗る前、ナースから私に電話があった。「コロナ陽性」を告げられた。夫はコロナかどうかわからないけれど、容態が急変し、昨晩、亡くなった。朝はあんなに元気だったのに。明日は結婚記念日だというのに。夫の亡骸はまだ温かい。夫にしがみつき、「明日、荼毘に伏されるんだよ」と語りかけると、「知ってるよ」と答えた。そこで目が覚めた。

横にいる夫は、生きているのか。生きているなら、睡眠は大事だ。起きるまで、じっと待った。
「おはよう」と夫がしゃべった。
「生きてたんだね!」としがみつき、今見たばかりの夢の話をした。

夫が言った。
「そうか。今日が人生最後の日だと思って生きろ、ってことだね」

こうして、この瞬間にも、世界のどこかで亡くなっている人がいる。哀しみに暮れる人がいる。

“亡くなるということ。生きるということ。” への2件の返信

  1. 夫の妹がコロナに罹って亡くなりました。一度は救急病室からコロナ患者用の病室に移る位回復したのに、結局は肺の機能が戻りませんでした。亡くなる前に、一日中水の中で溺れている様な苦しみが続いている、又これ以上苦しみ続けた上に医療費の請求が増えていくのが耐えられない、とメッセージが来ました。夫の妹と彼女の夫はトランプ支持者で、マスク拒否したり、人との距離を取る事が必要だと思っていませんでした。彼女が陽性だと分かってからは、彼女の夫はマラリアの予防薬を飲んでいます。コロナが広がりだしてから、彼女と私の夫は何度も電話でその事について喧嘩をしていました。私の夫は妹に、トランプの言う事を信じているとコロナに罹って死んでしまうぞ、と言ってしまった事が悔やまれると言って、今でも一人になると泣いています。
    何だか色々書かずにいられなくなって長文になりました。ご迷惑になっていない事を祈ります。

    1. 裕江さま
      お辛いなか、書いてくださったメッセージに、私もとても苦しくなり、どうお返事したらいいのかわからず。3日が経ってしまいた。お許しください。水の中で溺れているような苦しみ、というのはほかの方からも聞いていますが、本当のどれだけ辛いことでしょう。裕江さんのご主人もお辛いことでしょう。でもどうか、ご自分を責めないで。妹さんのことを心配しておっしゃったは、妹さんもよくわかっておられたことでしょう。ご主人に寄り添ってあげてくださいね。辛いことなのに、お知らせくださって、本当にありがとうございます。ご主人の妹さんのご冥福をお祈りいたします。そしてご家族に笑顔が戻りますように。裕江さんもご自愛くださいね。 岡田光世

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