最愛の義母が逝く

午前1時に電話が鳴った。「今、息を引き取ったよ」。

最後は声にならず、激しい嗚咽に変わった。

きっとそれまで、泣かずにこらえていたのだろう。病院から運ばれ、今は実家で眠る義母のもとから、さっき夫が帰った。

「あの時まで泣かずにこらえていたのに、光世の声を聞いたら泣いちまったよ」。

そう言うと、また嗚咽した。この人を生み、育ててくれた義母。息子を待っていたかのように、夫が病院について三十分もたたずに亡くなった。義父とふたりで看取った。

お袋が好きだった日本酒を、光世と一緒に飲もうと思って。そう言って、義母が生まれた広島の、そして義母が大好きだった妹が住んでいた福山の、天寶一の純米吟醸の生酒と、義母の育ての親が暮らした香川県観音寺の、川鶴の特別純米酒の生原酒を取り出した。

そして、子どもの頃、お義母さんが買ってきてくれたという地元のお肉屋さんの唐揚げも、袋のなかから現れた。お母さんを思って、ふたりで乾杯。

夫は、お義母さんが使っていた布の袋をさげて帰ってきて、中から携帯用の歯磨き粉とシャンプー、リンスを取り出した。義母が病室で使っていたという。

「これを持っていって、向こうで使うんだ」。夫が、小さな子どものように、うれしそうに言う。

今週の土曜日から十日間、夫は出張でイギリスに出かける。その前日、義母が通っていた教会で葬儀が執り行われる。夫が安心して出張に出かけられるように、お義母さんは今、逝ってしまったのか。

お義母さんに会いに行ってください、と編集者が新刊の初校ゲラチェックの締切を一週間、延ばしてくれた。

昨夜、夫と一緒に病院に駆けつけたかったけれど、今日は別の締切があって、私は泣く泣く家にいた。そして昨夜はずっと、賛美歌を聴きながら仕事をしていた。

明日は夫と一緒に、義母に会いに行く。

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