昨日、初めて下車した清澄白河駅。
たっぷりのご飯に、これでもかというほどアサリがのり、アサリを煮込んだ汁をお茶漬けのようにかけた、深川丼ぶりを食べた。
4テーブルしかない、とても評判のいい、小さな庶民的な店。
まだ6時前だったので、ほかにはサラリーマン風の男性ふたりだけ。
しばらくすると、中年の男女が店に入り、私たちの隣のテーブルにすわった。
韓国語を話している。
ビールと深川めしを1つずつ頼み、持ってきてもらった茶碗ふたつに分け、ビールで乾杯してから、黙々と食べ始めた。
席がかなり近かったので、何か話しかけようかな、と思っていると、コロコロと音がして、女性が「あ」と小さく叫び、恥ずかしそうに私の顔を見て笑った。
手には唐辛子の小さな瓶を持っている。蓋が私たちのテーブルの下に転がってきたようだ。
私が屈んで赤い蓋を取り、女性に手渡す。
「ありがとうございます」とアクセントのある日本語でお礼を言いながら、女性が蓋を受け取る。
「日本に住んでいるんですか」と声をかける。
「日本語は話せません」と、上手な日本語で答えるものだから、 私は思わずほほ笑んだ。
「英語は? English?」
「English? Yes.」
私たちはそれから英語で会話を交わした。
40、50代くらいにしか見えないが、数年前に引退し、それから毎月、日本に旅行に来ているという。
「毎月?」
「はい、毎月」
「どうして?」
「日本が好き、日本の文化が好き」
私たちふたりが話している間も、ひとり下を向いたまま黙々とビールを飲み、食べていたその人の夫が、初めて顔を上げ、ほほ笑みながら、英語で言った。
「彼女、前世は日本人だったと思いますよ」
それだけ日本が好きだということだろう。
「韓国では日本人に対して、好意を抱いていない人が多いと感じますか」
そう私が尋ねると、女性はちょっと困ったような表情になり、「正直言うと、そうです、でも、日本に来てみたら、日本人は親切だし、礼儀正しいし。韓国で日本は誤解されています」
その人の夫が食事の手を止めて、身を乗り出した。
「僕は貿易の仕事をしているもんで、アメリカ、ロシア、中国、メキシコ、と世界中を旅してきました。でも、日本だけは来たことがなかったんです。正直、日本に来たいとは思わなかった。でも、来てみたら、僕の思いは変わりました」
男性は続ける。
「日本は何度も韓国を攻めてきた、と韓国人はそればかりが頭にある。豊臣秀吉の時代、日韓併合…。でも、日本が百済と手を組んで、唐・新羅連合軍と戦ったこともある」
「韓国人と日本人は兄弟みたいなもの。仲良くしていかなくちゃ」と妻。
彼女は中国の韓国大使館で働いていたことがあるという。
夫が日本を訪れるのは、今回が6度目。
「妻の影響ですよ」と夫は笑う。
私たちは漢字で互いの名前を書いて、教え合った。
「『岡田光世』を韓国語でどう読むのですか」と聞くと、「Kang, jeon, kwang, se」と書いてくれた。
二人の名前を「日本語でどう読むのですか」と聞かれ、音読みしてあげると、ウケた!
ふたりはこの辺りのホテルに泊まっているという。
有名なピザ屋を教えると、妻は「ベッラ・ナポリ、ベッラ・ナポリ」と店の名前を繰り返しながら、私たちが印刷した食べログの店名を写真に撮り、「行ってみるわ」と答えた。
男性に向かって、「あなたが日本に来てくれて、日本に対する考えが変わって、とても嬉しいわ」と話すと、彼は大きくうなずいた。
店の壁に、「思無邪」と書かれた色紙が額に飾られていた。
村山富市元首相が書いたものらしい。
「あれはどういう意味ですか」と妻が私たちに聞いた。
「思無邪ーー。思い邪(よこしま)無し」ーー。
「あれを書いたのは、植民地支配を公式に謝罪した日本の元首相なんですよ」と私が言うと、彼女はうなずいた。
この同じ言葉を、小泉首相がソウル西大門刑務所跡にある歴史展示館を訪れたときに記帳し、物議をかもした。
私も訪れたことがあるが、日本の支配に抵抗した運動家が、受けた拷問の様子などが生々しく展示されているからだ。
小泉氏は、「日韓の信頼関係を築き、将来につなげ育んでいく。歴史を見つめながら、未来に向かって友好の絆を深めていきたいとの思いを込めた」と語っている。
韓国人のふたりと、ここでこの言葉に巡り合うとは。
これもとけない魔法だろうか。
「日本でよい旅を」と声をかけると、「話ができて、嬉しかったです」と女性が答えた。
私たち4人はそろって、店を出た。
こちらのお店です。美味しいですよ!
「期待以上にアサリもたくさん入っていて、とっても美味しかった!」と感じのいい若い女性店員さんに伝えました。