久しぶりに義父母に会った。義母が義父に連れられて、月一度、通院する病院へ、夫とふたりで出かけた。病院でいつも待たされて、その時にお義母さんは不機嫌になり、家に帰りたいなどと言い出すので、来てくれると助かる、と私が今回ニューヨークにいたとき、お義父さんが夫に話したという。その後、夫は通院に付き添った。
私が行くことを義母にはサプライズにしておいて、と夫が義父に頼んだようだ。なるべく明るい気分になってほしいと思い、お義母さんに会うときは明るい色の服を着る。今日は赤いスカートを履いていった。認知症も少しずつ進んでいるらしく、自分がどこにいるのか、義父が誰なのか、わからなくなることもある。
病院の待合室に入ると、夫が向こうを指さして、「あ、いたいた!」と声をあげる。薄暗いし、近眼の私には見えていない。
目の前に夫が現れると、お義母さんは「誰、あんた?」「なんでここにいるの? 何しに来たの?」と無表情で声をかけた。
後ろに隠れていた私に気づくと、「誰?」と言った。しばらく、沈黙が続いた。お義母さんはむくんでいるのか、手やおなかの辺りがパンパンになり、すっかり太っていた。
車椅子のお母さんの目の高さにかがんで、「お義母さん…」と顔を覗き込んだものの、その後、何を言えばいいのかわからず、お義母さんの顔を見つめて、ただほほ笑んでいた。
お義母さんは原因不明の足などの痛みから、寝ていることが多くなり、今はトイレに立つことも一人ではできない。むくんでいるように見えるのは、食欲はあるのに寝たきりだからか、それとも薬の副作用なのか。
しばらくして、「誰かわかる?」と、夫がお義母さんに私のことを尋ねる。
「もちろん、わかってるよ」とお義母さんは言ったけれど、あまり表情を変えなかった。
珍しく、すぐに順番が回ってきた。義父が車椅子を押して、診察室に入っていった。10分ほどすると、「ありがとうございました」という義父の声が聞こえ、ふたりが出てきた。
義父に押されて車椅子で会計カウンターへ向かいながら、私は背を屈めて義母の脇を一緒に歩く。と、私をしっかりと見つめ、突然、スイッチが入ったように、「まあまあ、光世さん、来てくれたの? お忙しいのに、遠くまでありがとう」と嬉しそうに言った。
会計のカウンターで、「ほら、名前」とお義父さんに肩を軽くつつかれると、お義母さんは力強い声で、小学生のように、自分の名前だけ言った。
自分で言わなきゃ、いけないんだよ、と夫が私に説明する。
介護タクシーを待つ間、「みんなの顔が見えるようにしましょうね」と私が言い、車椅子を動かそうとした。が、壁とソファの間の狭いスペースで、重い車椅子を動かすのはなかなか大変で、私が何度もやり直していると、夫が手を貸した。
私が義母に寄り添うようにすわった。私の顔の先から足元までじっくりと眺め、「光世さん、今日、ステキだね。ワンダフル!」と言った。「ワンダフルだって! お義母さん、英語、話した! すごい!」と私が笑う。
お義母さんは真面目な顔で、「光世さん、ワンダフルは英語だけど、日本語でもそう言うんだよ」と答えた。
「あ、そうでしたね」と私が笑う。
夫がお義父さんと話している間、私はお義母さんの体をさすりながら、ふたりでおしゃべりしていた。
お義母さんに生け花習ったのに、私、全然、上達しなかったですよね。花が行きたいところに行かせてやればいいんだよ、って言われて、行きたいところに行かせたんですけど…と言うと、簡単そうに見えて意外に難しいんだよ、と声を立てて笑った。
私たちの結婚式でニューヨークに来たこと、覚えてますか、と私が尋ねる。何も覚えてないよ、とお義母さん。
着物を着ていたのはお義母さんひとりだったから、アメリカ人の友人たちがみんな素敵だって言ってましたね。
そうだった? 着物を着るのは、私、とても好きなのよ。だから、よく着物を着るの。
お義母さんが言った。今はいつもパジャマ姿で、もう着物を着ることはないのに、お義母さんは現在形でそう言った。
『ニューヨークの魔法の約束』(文春文庫)が出てから会っていなかったので、初めて本を渡した。夫が登場するいくつかのエッセイに付箋を貼っておいた。
教会の挙式前に、市役所で式を挙げたときのことを書いたんですよ、と伝え、司式者に「花嫁にキスを」と言われたのに、夫がキスしようとしなかったと、お義母さんに笑いながら話すと、お義母さんは、「まったく、大事なことができないんだよ、うちの子は。ね、お父さん」と義父に同意を求め、“お母さんの顔”になった。
最近、ニューヨークで撮った写真を、iPadで何枚か見せた。大雪の写真を見て、「へえ、こんなに降ったんだね」、「セントラルパーク、行ったかね? 覚えてないね」などと言いながら、嬉しそうに見ている。
時間が限られているから、写真を見るより、みんなと話した方がいいだろうと思い、iPadをオフにすると、「光世さん、もっと見せて」とせがむ。
お義母さんは、広島の原爆で両親と兄を亡くした。その後、妹とふたりで愛媛県の親戚の家に預けられたが、育ての親と折が合わなかった。高校生のときに家出し、ひとりで広島の親戚を尋ねていき、結局、そこで高校を卒業した。
十年ほど前に私は、呉に住む義母の姉とふたりで、瀬戸内海の蒲刈島へ義母の両親のお墓参りに行った。お墓は海の目の前で素晴らしい景色ですよね、と言うと、お義母さんは目を細め、そうなんだよね、と懐かしそう。
お義母さんは何度も大声で笑い、何度か、ワンダフル、という言葉を口にした。そんな言葉を、お義母さんの口から前に聞いたことはなかった。
診察が終わり、お義母さんは車椅子ごと介護タクシーに乗せられた。
一緒に食事でもできたら、と願っていたけれど、夫は義父に言い出さなかった。きっとお義母さんは、体力的に無理だと思ったのだろう。
名残惜しくて、最後までお義母さんの顔を見たかったけれど、窓ガラスが暗くなっていて、外からは様子がわからない。夫と私は、介護タクシーが見えなくなるまで、手を振り続けた。
夫と私は、前に行ったことのあるお蕎麦屋さんで昼食を取ることにした。
夫が言った。おふくろ、とても嬉しそうだったよ。忙しいのに、来てくれてありがとう。
ありがとう、って、私、あなたの妻だよ。
ま、夫婦でもね、親しき仲にも礼儀あり。
ワンダフルは日本語になってる、なんてお義母さん、言ってたね、と私が笑う。
そんな言葉を何度も言っただけで、すごいことだよ。今日のランチは俺がおごるから。
ホント? じゃあ、大海老の天ぷら蕎麦に、だし巻き卵に、ビールに・・・。
食べられるだけにしてくれよ。
たわいもない話をしながら、蕎麦屋さんまで歩いた。
お義母さんはもう、自分の足で歩くことはないのだ。こんなふうに風を感じながら、散歩することはないのだ。お蕎麦屋さんで蕎麦を食べることもないのだ。
一緒に食事しながら、夫がつぶやいた。
ふたりで元気に食事を食べられるのは、それだけで幸せなことなんだね。
その日、都心に戻り、それぞれの用事を済ませて、人混みで待ち合わせた。
ワンダフルなスカートだから、光世だってすぐにわかったよ。
ああ、この人は、あの母の、息子なんだ。
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それでは AK でした(^_^)
See you there!!
It’ll be fun for sure!!
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「岡田光世さんを囲む初夏の集い」
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