今回、数年ぶりにお会いした韓国人学校の校長先生。出会いは25年以上前。NYにあるいろいろなエスニックの学校を、私が新聞に連載していた時に知り合った。
まだお元気でおられるか。どきどきしながら、電話すると、「岡田さん? ああ、うれしい。どこにいるの? 今日、お会いできる? ああ、うれしい!」とおっしゃった。「ちょうど1週間前に、あなたがどうしているかなあ、って思ってたの」と。
先生はいつも、元気な声で、本当に会いたそうに、本当にうれしそうに、そう言ってくれる。
来年の1月でなんと90歳になる。今も現役の校長先生で、誰よりも先に学校へ行く。たぶん、長い間、ほぼ無報酬。韓国併合後の京城で生まれたから、日本語で教育を受けた。日本語の名前もある。NYに日本人の知り合いは私しかいないから、日本語を話すのは私とだけなのに、話し始めれば、見事な日本語。まずは外でサンドイッチを食べながらおしゃべり。
先生と会うと、私がお金を払うことを頑なに拒む。先生はアボガドサンド。私はサーモン・サンドが美味しそうだったのでそれを手にすると、そんなのを買わないで。これにしなさい」と、もっと大きなサンドイッチを指さして譲らない。「これが食べたいの!」と5回ほど主張し、先生はしぶしぶ諦める。大きくて、もっと高いサンドを食べさせたいと思ってくれたのだろう。
「いろいろな、個性的な人がいるNYが私は大好き。私のおかずは街を歩く人たち」と言いながら、おしゃべりし続ける先生。サンドイッチを食べる手はまったく進まない。
先生が脇に抱えているのは、韓国語の新聞2紙。ニューススタンドで毎日、韓国の新聞を2紙、買い求める。3紙あった時は3紙、必ず目を通していた。