善福寺川の桜を見ながら、同性愛について思い巡らす

都内で千鳥ヶ淵の次に素晴らしい、と私が思っている桜。

今日はそれを見ながら、ニューヨークからカリフォルニアに越したばかりのアメリカ人の友人と、川沿いを3時間歩き続ける。

それは、私が生まれ育った杉並区の善福寺川沿いの桜の道ーー。

中流の都立善福寺川緑地から都立和田堀公園にかけて、4km以上に渡る。

杉並で最大規模の緑地帯なので、緑に生える桜も素晴らしい。

 

数日前にアップされた連載「岡田光世「トランプのアメリカ」で暮らす人たち」は、聖書を文字通りに“絶対である”と信じて生きてきたジェリーの話。

彼女は同性愛は「罪」であると言うが、今日一緒に過ごした友人は同性愛者。私の大切な友。

桜を見ながら、その友人にジェリーの話をした。

聖書を文字通り信じている人を、あなたはどうやって説得する?

彼は答えた。

説得しないよ。時間の無駄だと思う。少なくとも、僕の時間の無駄だーー。

私が初めて同性愛者と接した時、その人に「同性愛者」というレッテルを貼っていた。

あれから20年。

友人が同性愛者であることを、すっかり忘れている。

ジェリーは79年間、聖書を絶対のものとして生きてきた。

これからもたぶん、そうやって生きていくのだろう。

ジェリーと友人は、決して「友だち」になることはないのだろう。

でも私は、友人と同じように、ジェリーが好き。愛おしく思う。

また会いたいと思う。

それはたぶん、友人のような人たちを、”人として”否定しているわけではないから。

そして、私と考え方は違うけれど、それは考え方であって、彼女の人となりとは別のものだと思うから。

彼女なりに人生を真摯に生きているから。

桜を見ながら、友人と話しながら、そんなことを思っていた。

日本のこの季節、桜に抱かれて、1日24時間、外で暮らしたくなる。

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