思うように体が動かなくなった母の、初めての母の日だった

思うように体が動かなくなった母の、初めての母の日。

私たち夫婦からの贈り物は、母の大好きな鰻(うなぎ)。車椅子を押して阿佐ヶ谷の商店街を抜けて、北口の「阿づ満や」へ。美味しいね、と言いながら、一緒に食べられる、しあわせ。

腰椎を圧迫骨折してから、大腿骨の痛みがひどくなり、いつもさすっている。ふくらはぎは、皮膚がはち切れてしまうのではないかと思うほど。腫れてぱんぱんに張っている。

朝、服を着るのに、一人だと1時間かかる。私がしてあげれば早いけれど、でも今は、なるべく手を貸さないようにしている。使わなければ、使わなくていいものだと脳が理解して、どんどん機能が衰えてしまうらしいから。 

私からの贈り物は、家でのお風呂。骨折してまもない時に、母の家でお風呂に入れてあげたら、本当に気持ちよさそうな顔をしていた。でも終わってから、浴槽から自力で出られず、私が引き上げようと思ってもなかなかできなかった。それからお風呂は入れられずにいた。

今日は私の家のお風呂に入れてあげたかった。洗い場で母の頭と体を洗ってから、浴槽へ。浴槽は母のところより深いけれど、洗い場との高低差はこちらの方が低い。浴槽の中で足をつけるように台を置き、ゆっくり浴槽にすわらせる。

私が洗い場で様子を見ながら、母は湯船に30分くらい浸かっていた。気持ちいい? と声をかけると、うれしそうに「うん」と言ってうなずく。

浴槽から出すのが、やっぱり大変だった。浴槽の縁に両手をかけても、足が立たない。ずっとすわっていたから、体が固まってしまったのもあるのだろう。ようやく立たせ、私が浴槽に入って、母の体を私の体に密着させて全身の力を込めて抱え上げた。

体を拭いて、着やすい私のワンピースを着せて、庭を眺められる縁側の椅子にすわらせた。私はキッチンでコーヒーを淹れ、縁側で一緒に飲む。義妹が那須高原で買ってきてくれたラスクやお煎餅を食べながら、ゆったりと時間が流れる。

3か月前まで、母は地下鉄を乗り越えて、杖をつきながらひとり仕事に通っていた。これまでできていたことができなくなることは、どんなに辛いだろう。人生を放り出したくもなるだろう。でも母は、泣き言を言わずに、頑張っている。

今年の母の日の贈り物。きっと母は、これまでのどの贈り物より、喜んでくれただろうと思う。次は、温泉に連れていきたい。今ならまだ、できる。いつか、できなくなってしまう日が、訪れる前に。

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