スタテン島からマンハッタン島に戻るフェリーで、自由の女神を眺め、「自分の主張を表現する権利」が生きているーー。
そんなことを感じたと、昨日、アップした「トランプのアメリカ…」の連載記事を締めくくった。
その記事を書き上げ、急いで夫の実家へ夫婦で向かった。
父の日は中学校の同窓会と読者との集いがあったので、1週間遅れで父の日を祝うためだ。
「かあやん、智と光世さんが来たよ。起きるか」。義父がベッドに横たわる義母に声をかける。
「こんにちは、お義母(かあ)さん!」と笑顔で元気に声をかけると、義母は私に向かってゆっくりと腕を伸ばした。手を握って、ということだろう。
外から来たばかりだから、手を洗ってから握ってあげたいと思いながらも、そのまま、義母の手を両手で握って、さする。
少し顔のむくみが引いているように見える。
いつものように、義父が義母をよっこらしょ、と持ち上げ、ソファにすわらせる。義母はほとんど歩けないから、全体重が義父にかかる。義父がぎっくり腰にならないかと、心配になるけれど、義父は自分でやりたがる。
私の食事は、義父と夫の分と一緒にテーブルに用意されているけれど、義母がソファでひとりなので、隣にすわる。
箸でお寿司を口に入れようとするけれど、手が激しく震えているので、落としてしまったり、ご飯が崩れてしまったりして、なかなか口まで届かない。
あまり私が手を貸しては、ますます義母の手が動かなくなってしまうけれど、たまには、と思い、私が箸を取り、口まで運ぶ。
「かあやん、いいなあ、光世さんに食べさせてもらえて。おなかいっぱいになったか?」
義父は事あるごとに、義母に声をかける。
義母は義父を見もせずに、きっぱりと言った。
「こんなもんで、おなかいっぱいになんか、なりません!」
珍しく威勢のいい声に、3人が爆笑する。
今日の義母は、やけに言葉がはっきりしている。元気だった義母を、思い出す。
「ああ、そうか、かあやん。言うことが洒落(シャレ)てるなぁ」と義父が笑う。
食事を終え、義父が義母に薬を飲ませる時間になった。
「かあやん、あ、また、薬を噛んじまった! ダメだって言ってるだろ。カプセルだからそのまま飲み込めば、胃の中で溶けるんだよ。記憶が消えちゃうから、忘れちゃうんだよな。嚙んだら、口の中が苦いだろう。ああ、ああ、ほら、苦いだろって。噛んじゃダメだって、いつも言ってるだろ。このバカヤロ!」
義父の「バカヤロ」は優しい「バカヤロ」。でも、そんな言葉を義父の口から、私は聞いたことがなかった。よっぽど、イライラしたのだろう。苦い思いをして、義母がかわいそうだと思ったのかもしれない。
薬を飲み終え、義父が義母をまた、よっこらしょ、とソファからベッドに移動させる。
「お義母さん」。
バカヤロ、と言われて、しょげているに違いない。
私はベッドに近づき、床に膝をついて、義母に話しかける。
と、義母が私の耳元で、はっきりした声で言った。「口うるさいジイさんだねぇ」
と、義父が笑って、また言った。「かあやん、言うことが洒落てるなぁ」
「自分の主張を表現する権利」は、ここでもしっかり生きていた。
ね、お義母さん💛!