バンコク郊外のアムパワーへ。ここには水上マーケットがある。バンコクのミニバス(ミニバンという方が近い)乗り場に辿り着く。
どこからともなく英語のわかるおばさんがやってきて、チケットを売ってくれ、ここで待ってろ、と言う。
何時にバンが出るの? と聞くと、「20 minutes.」と答える。
朝食を調達に行き、何度も車にひかれそうになりながら大通りを渡り、レストランのトイレを借りて戻り、またさっきのおばさんに、バンはいつ来るの?と聞くと、「20 minutes.」と答える。
チケット売場の前で、三角笠を被った白人の男の人が、大きなバックパックを足元に置いて立っている。スペインのマヨルカ島から観光に来たスペイン人だった。カンボジア、ベトナム、タイと、3か月かけて回っているらしい。笠はベトナムで買ったという。
「ごめんよ、オレ、英語がうまくないんだ。でも、ノ~プロブレム」
私たちが口にする彼の知らない単語を、「テクノロジー、テクノロジー」と言いながら、いちいち、アイフォンでスペイン語に翻訳し、理解している模様だ。
夫と3人でおしゃべりしていると、最後に「20 minutes」と言われてから、すでに 20 minutes 経ったでしょう、と思われる頃、私についてきな、とチケット売場のおばさんが歩き出す。
やっと乗れるんだね、と言いながら、3人ぞろぞろ、おばさんのあとをぴたりとついていくと、またそこで、延々とバンを待つ。場所を移動しただけじゃん。
スペイン人の男性は妙に明るく愉快で、3人楽しくおしゃべりしているから、いいけれど、「ねぇ、あと何分待つの?」としつこくおばさんに聞くと、しばし沈黙するので、「20 minutes.」と私が自問自答すると、おばさんは苦笑いして、「そうだよ、20 minutes.」とうなずく。
「君の名前はジョセフだね?」と夫がスペイン人に聞く。
「Joseph. You?」(ジョセフ。君は?)
「サントス」と夫が答える。
「それは覚えやすいな。スペイン語みたいだ」。ジョセフはうれしそうに、「サントス、サントス、サントス、サントス」と4度、つぶやく。
「僕にはスペイン語の名前があるんだ。サントス!」と夫。
(そんなの初めて知ったよ、アタシ)
「サントス、サントス、サントス」とジョセフが3度つぶいてから、「You?」と私に聞く。「ミツヨ」
「ミ、ツヨ…。覚えられないな。スペイン語の名前は?」
「ないよ」
「サトシのサントスは完璧だよ。じゃあ、「ミツヨ」に似たスペイン語の名前をつけよう」とジョセフ。
マルガリータなど、Mで始まる名前を皆で考える。そのなかから、ジョセフが私を「マリア」と命名した。
ようやくバンは、20 minutes と私が答えてから 20 minutes は経ったでしょう、という頃、やってきた。
その日、ジョセフとサントスと私は、夜まで行動を共にした。
ジョセフが「ねぇ」とことあるごとに名前で私を呼ぶのはうれしいけれど、「ねぇ、マリア。あれ、見てごらん」「おーい、マリア。こっちだよ~」「いいかい、マリア。コカ・コーラは太陽の恵み。最高の飲み物なんだぜ」と大声で叫ぶたびに、さすがのマリアも穴があったら入りたかった。