今日の日曜日もいつものように教会へ。礼拝開始5分前に、教会のすぐ手前で道に迷い、焦る。毎週、通っているのに、不思議なこともあるものですね…(バレたか?)いえ、日本にいないことも多いですし、別の教会に行くこともあるわけでして…。
と、目の前に救世主が。花屋さんだ! 花屋さんなら教会に花を届けるし、場所を知らないはずがない。
やはり、救世主はご存じだった。そうだよ、そうだよ、こっちに決まってるじゃん、と自転車をさらに勢いよく走らせる。
支度に時間のかかる私を置いて、夫は先に歩いて教会へ向かい、迷いもせずにたどり着き、教会の前に立って私を待っている。
礼拝堂の入口にFBで知り合った高校時代のH先輩が、「大丈夫ですよ~」とやさしい笑顔で立っている。
「みっちゃんが来てるよ」と彼が同級生に伝えてくれたらしく、礼拝のあと、昨年ここで知り合った同級生が挨拶に来てくれる(やっぱり、母校にはクリスチャンが多いのね)。
「どうして、みっちゃんって呼ばれてるの?」と夫。
「知らない…。Hさんにそんなふうに呼ばれたことないんだけど…」
そう私を呼ぶのは、小学校時代の友人と、家族や親戚くらい。この年になってそう呼ばれるのは、なんだかうれしい。
昨年暮れ、母校の高校の同窓会報を読んだ方が、キリスト教のラジオ番組に出演を依頼してくださった。いつものようにNYの話をすればいいのだろうと、喜んでお引き受けしたら、あとから送られてきたメッセージを読み、しばし沈黙…。「トークの主たる目的は、キリストとの出会い」とある。
あらら…。
名前はいかにもクリスチャンだし、洗礼も受けた。しかし、行いがどうも伴わず、「神さま、またやっちゃいました。ごめんなさい」と謝ることばかり。
この教会の長老のひとりは、25年以上前にNYで一緒に仕事をしたときから、ずっと私を知っている。大先輩の立派なクリスチャンの女性だ。
礼拝のあと、番組の話とテーマを密かに耳打ちする。
「あらら…」と私と同じ反応をしたあとで、「というわけで、今日はちゃんと来たわけね」(…さすが、鋭いな)。
そして、にこにこしながら、ひと言。「あなた、(キリストと)出会ったの?」
「で…で…出会いましたよ」
「収録はいつなの? その前に話したかったら、いつでもいいわよ」
(だ、大丈夫ですよ。番組では、正直に思うままに、お話ししますから)
「放送はいつ? 耳をダンボにして、聞かせてもらいます」だと。
こわいなぁ。放送日、絶対に教えないから。
【2枚目の写真について、夫との会話】
夫:この写真の説明しなくていいの?
私:なんて?(ただのイメージ写真だから…)
夫:俺たちが結婚した教会って…。
私:(これ、セント・パトリック大聖堂だよ。ここで結婚式してないって…)