母にとって私は人間失格。仕事を持たずに、夫に従い、夫に仕える妻になることを娘に望んでいた。だから、私がやることなすこと、気に入らない。
私は東京の保守的な家で育ち、両親も祖父母も厳しかった。褒められたことは、ほとんどない。
母の私への発言はすべてネガティブに聞こえるが、そう受け取るあんたが悪い、と言う。
顔を見れば、「あんたは何もわかってない」「まったくあんたは亭主に対して…」と小言が始まる(“私的”には夫に対して、十分やさしいと思っているのですけれど…)。そもそも、夫を高校時代のニックネームで呼ぶことが、母には許せない。「まったく友だちみたいに…」と。
私が12歳のときに父が急死し、38歳だった母は、女手ひとつで私たち姉弟3人を育ててくれた。
数日前、母が身支度をしていたので、「どこに行くの?」と声をかけたが、「ちょっと出かけてくる」としか言わない。母親たるもの、行き先をいちいち、娘に伝える必要はないのである。
しばらくして、母にメールを送った。「私がご馳走するから、一緒に食事しない? ランチが無理なら、夕食でもいいし」
「ゅうかたならいいです」とおぼつかないひらがなで、すぐに返事が届いた。
よし、今日は何を言われても、まずは母のことばを受け入れて、口答えはやめようと、決めた。
しばらくすると、母から電話があった。母は東京ガスの「ガス展」とかいうのに、ひとりで行っていた。抽選で何かもらえるという。母はこういうのが大好きなのだ。「あんたも来れば? 食事、お昼でもいいよ」と言う。
きっと誰かと一緒に行きたかっただろう。ひとりで行く、とは言いづらくて、そっけない答え方をしたのだろう。
やらなけらばならない仕事がたくさんあったから、いつもなら、行かなかっただろう。でも、今日は母のしたいことを、一緒にしよう。
母は建物の外に立って、ずっと私を待っていた。
娘が来るんです、と話したらしく、東京ガスの人が笑顔で迎えてくれた。
私は高校から青学だった。合格発表を母と一緒に見に行ったことを思い出し、渋谷でお寿司を食べさせてあげたいと思った。
「渋谷? 渋谷なんかごちゃごちゃしてて、好きじゃない」と母が言った。
「じゃあ、日本橋の美味しい天婦羅屋さんは?」
「そんな遠くまで行きたくない」
たいした距離ではないけれど、結局、近くのお寿司屋さんに決めた。
そばに書店があった。「ニューヨークの魔法」シリーズをすべて、ずっと展開してくれている。「ちょっと寄ってもいい?」と母に聞く。いつもなら面倒臭そうな顔をするのに、母は黙ってついてきて、書店で来年の手帳を買った。母なりの書店への御礼の気持ちなのだ。
駅の建物の屋上に、草花が植えられ、ベンチが置かれ、ちょっとした公園のようになっている。母は行ったことがないというので、母はあんぱんと野菜ジュース、私はあんドーナツとコーヒーを買い、屋上のベンチにすわって食べた。
「まずいね、このジュース」と言うので、私が残りを飲んだ。
母はバスで、私は自転車で、別々に帰った。
途中で私は黄色いバラの花を30本、買った。そういう気分になった。
バラがこちらを向くようにカゴに入れ、自転車を走らせた。
木々の緑が太陽の光を浴びている。私は笑顔になっていた。
習慣で仏壇には供えるけれど、母は花にまったく興味がない。私が花を買ってきても、きれいだ、などと言ったためしがない。
家に戻ると、母がいた。
「何、買ってきたと思う?」
そう言って、母に花束を見せた。
「あら。きれい」
初めて母が、そう言った。