昨夜、夫婦でクリスマスイヴの礼拝に参加したあと、病院の前で賛美歌を歌った。何年か前に、そのときのことをつづった文章を、皆さんと分かち合いたいと思います。この教会の話は文章の最後に書かれています。昨夜のキャンドルサービスの続きを、明日また、アップしますね。今夜は時間があれば、夫曰く、「フランス風クリスマス・ディナー」の様子をアップいたします(笑)。
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ある年、ニューヨークでクリスマス・イヴ礼拝に参加した。華やかに装飾された教会に、寒さと喜びで頬を紅潮させた家族連れが次々と集まってきた。突然、一緒にいた友人のひとりで、60代のアメリカ人女性が、「帰る」と言い、立ち上がった。
あとからその友人が、私に詫びた。「あのときは、ごめんなさい。クリスマスになると家族を思い出すの。酔って暴力を振った父や、寂しかった子供時代を」。
アメリカではクリスマスや感謝祭には、遠くに住む家族も集まり、テーブルを囲んで七面鳥の丸焼きの料理などを楽しみ、絆を深め合う。
感謝祭の日には別の教会で、家族を中南米に残し、独りニューヨークに渡った男の人と出会った。家族で七面鳥の料理を楽しむことのできない人々のために、教会が主催したディナーに訪れた。この日、私は男性の唯一の“家族”だった。
数年前、日本で、ある教会のクリスマス・イヴ礼拝に出た。その後、私はほかの参加者らとともに、火の灯るロウソクを手に、近くの病院まで歩いた。そして寒空の下、病院の前に立ち、賛美歌を歌った。
暗がりのなかで、ひとつ、ふたつと病室の窓が開き、そこに寝巻き姿の患者の姿が映し出された。顔の見えない患者に向かって、私たちは歌い続けた。
と、窓から何かがこちらに向けて投げられ、夜空を舞っているのが見えた。花の束だった。きっと、病室の枕元に活けられていたのだろう。
「ありがとう。メリークリスマス」。花束を投げたその人が、私たちに向かって、大きく両手を振った。
クリスマス、そして正月――。家族が集うこの時期を、さまざまな思いで迎えようとしている人々がいることを、覚えていたいと思う。
岡田 光世 / Mitsuyo Okada